6期機械露口氏からの海外通信

2014年3月それまで駐在していたオランダからからインド東部のオリッサ州にあるベルパハールという小さな村(コルカタから南西に600kmの場所)に移動して駐在するようにとの辞令を受けた。会社の命令とは言え先進国のヨーロッパから誰も駐在をしたがらないというインドのジャングルに囲まれた場所への転勤、それにその3年前に買収したインドの会社自体がうまく行っていないという社内外の噂もあり、大変なことになったというのが最初の印象であった。

インドの本社前で (前列左から5番目が筆者)

約1年間このインドの会社(TRL Krosaki Refractories Ltd)の中に事務所を構えて取締役として仕事をした後、2015年2月にこの会社の社長交代に併せて元々の勤務先である黒崎播磨から出向となった。タイトルは技術担当上級副社長。この会社は2011年に元々の親会社であるTata Steelから黒崎播磨が51%の株式を購入した会社である。買収以降売上こそ横ばいであったが、利益は3年連続右肩下がりの減益で2013年度はほぼ収益ゼロという危機的状況。会社の財務内容と同様、製品の品質はボロボロ、他社との競合激化によるシェアダウン、客先からの信頼度ゼロ、社内の人事制度に対する不平不満等々、課題山積の状況であった。新社長はそれまでCOOだった人物であるが、この人の経営手腕は優れたもので、人事刷新、財務上の課題やその他の諸問題が解決され始めた。ただ、技術問題の解決は私達黒先播磨からの出向者に任せてもらうことになり、社内のインド人が言うことを聞かないときにはタイムリーに助けてもらったが、諸々の施策の成果により2016年からは財務的にも大きく回復し、客先との関係もかなり改善できた。またその間製品の品質向上、技術力向上、製品の信頼度回復に努力したおかげで、客先からは2017年に数件のベストベンダー賞(品質を含む最優秀納入者賞)をいただくまでになった。私の仕事は、安定した製品作りのためのプロセス改善、製品の品質向上、新製品の開発、客先苦情の低減、品質アウト品の出荷防止、若い技術者の教育等々であり、この4年間でかなり良くなってはきたが、日本のレベルに比べるとまだまだ不十分。もう少し時間がかかりそうな状況。

営業会議に出席中の筆者 (正面奥の右側が筆者)

ここで苦労するのは、自己主張が強く英語民族であるインド人を相手に毎日ディベートのようなやり取りをしながら彼らの変な論理に対抗して、結論をこちらの思惑に沿った落とし所に持ってくる、これを英語でやっているというところで、特に言葉尻を捕まえるのではなく、相手の意図することをいかに早く理解するかがポイントとなる。ヒンズーなまりのインド英語を聞くのは大変ではあるが、彼らの規則正しい?(人によっても異なるが)なまりに慣れればかなりヒヤリング力は改善される。また英語の中身はブリティッシュ・イングリッシュで、インド人に言わせればこれが分からないお前の方がおかしいということになるようで、事実、英国人や米国人の教育レベルの高い人達はしっかりと聞けているのも事実。いろんな人の発音を聞いてヒヤリング力の許容度を拡げることが重要だと思い知らされる。英語は道具ではあるが、相手の言うことに共感できないと交渉にはならないし、ポジションが上がれば当然高い交渉力が求められる。この会社で現在ナンバー2の私の発言は重いので、当然今でも勉強の日々である。

客先からベストベンダー賞を送られた際の記念写真 (右端が筆者)

仕事の話ばかりでは面白くないので、少し生活の匂いのする話を。ここには何も遊びモノがない。周りはジャングルで、野良牛、野良犬、野良猫は自分の庭のような顔をして道路に寝そべっている。交通ルールはいい加減で大きいトラックやバスが一番強く、人は神様である牛よりも弱い立場。5年前には近くの保護区から離れた野生のゾウがやってきて人を踏み殺すという事件も発生。それでもゾウを殺すことなくジャングルに戻すのはインド人の生あるものへの優しさのようである。たまにヘビもやってくる。或るとき3週間ほど社宅を留守にしたときには、夜中にバスルームでヘビと遭遇、どうも部屋の中に住んでいるヤモリを追って室内に入ってきたようだがコブラでなくて良かった。外には蚊もたくさんいるのに部屋のドアを閉める習慣がない。この周りの農民の家を見ると家にはドアがない網戸もない、椅子は土を固めた簡単なもの。水道が普及していない場所では、水汲みは川へ、洗濯も川で手洗い、それでも感心するのは寒くても川の水で体を洗っていたりする。また木の棒を使った朝の歯磨き姿や男性の髪は耳にかかっている人は少ないなど、見た目とは違って?清潔好きな印象を受ける。まだまだ書き足りないが、別の機会にお話したい。

この3月末で5年間のインド駐在を終え日本に戻ることになった。考えてみると若い頃には台湾とスペインでそれぞれ2年間近い長期出張、その後ドイツ、米国、オランダ、インドと通算海外生活は20年を越えている。就職するまで修学旅行でしか九州を出たことのなかった私がこれほど海外での仕事が長くなるとは想像もできなかったが、最初の長期出張の場所台湾で、客先とのハードな交渉で英語力と交渉力を鍛えられたことがその後の人生に大きく影響しているのは間違いない。特に私の場合学生時代はあまり勉強が好きではなかったので卒業してからの勉強が大きく人生を変えたと思う。

ただ最近はこんな状況海外だけで起こることではなく、ある日突然自社が海外の会社から買収されたり、娘よりも若い外国人の上司が来たり、海外の客先や支店とのTV会議は英語でとか、・・ということも実際に起きているのではないでしょうか。人生何が起こるかわかりません、しっかりと準備を整えて未知の世界を楽しんでください。

一般的な鉄道駅の風景 (人が溢れていて、寝ている人もいます)