1期機械,岡氏からの投稿

1970年(昭和45)に機械工学科を卒業し、小松製作所(コマツ)に就職しました。 配属は希望した建設機械の開発部門(設計)で、当時コマツはブルドーザのコマツとして名を馳せていましたが、配属は大型ダンプの開発設計部でした。 今日では、超大型ダンプや無人走行ダンプなどがTV・雑誌等で紹介されコマツの大型ダンプは認知されていますが、当時のコマツでは全くの新規分野の製品でダンプに関する技術蓄積は少なく、先行している外国製品を調査したり、要求される機能・性能・品質目標値を設定したり、試行錯誤で色んなアイデアにチャレンジすることで設計者として充実した時期を過ごす事が出来ました。 その時の経験・知識が、その後の会社人生45年間を通して、私の大きなアドバンテージとなりました。 入社当時の設計は、今では全く見掛る事が無くなった T-定規・計算尺・烏口などを使っていて、今日のコンピュータ(ネット)を駆使した開発、製図(3DCAD)・解析・調査・技術蓄積などを考えると、機能・速さ・正確さなど技術進歩の素晴らしさを痛感させられます。入社から退職まで45年間一貫してダンプ開発に従事し、技術畑を全うできたことは機械工学科1期(約80名)同窓生の内でも数少ないのではないかと自負しています。

長年技術者として従事した経験から一言。

技術者は、自分の考え方、言い換えれば、その人なりの判断の尺度を持ち、常にその尺度と照らし合わせて、物を見る目を養う事が大切です。 それには常に物事に疑問を持ち、原理・原則に則って理解して、自分の判断の尺度(能力)を向上させていく事が大切です。また、技術者を目指す者は少なくとも1つは、他人より1番良く知っていると云う優れた技術を身に付ける努力をする事が大切です。 これが出来ればシメタもので社内・業界で一目置かれ、多種の情報も自然と集まるようになり、一段のレベルアップが可能となります。

海外経験

配属が大型ダンプの開発設計部だったことが,私の会社人生の方向を決める事に成りました。

入社当時コマツ社内では、 営業・サービス部門にダンプの知識を持った担当者が稀で、大型ダンプの市場が海外が主だったこともあり、市場調査・営業支援・市場導入・サービス支援等で海外出張の機会が多くなり、45年間で出張・駐在を含め約20年間以上、海外での活動を経験しました。 最初の駐在は26歳の時、南アフリカでした。勿論、初めての海外経験で、赴任当初は英語会話は全くダメでしたが、現地人となるだけ多くの会話を試みた事で、1年後にはコミュニケーションがとれるようになり活動範囲も広がりました。 伝わらなくても躊躇せずに話す事。 大切なことは、語彙を増やす事で、文法は、中学卒レベルあれば十分。 ネイティブも文法は気にせずにしべっています。 南アでの経験がコマツ社内で”彼は海外でもやっていける。”との評価となり、その後 英語圏への出張が多くなる一因となりました。 主な渡航先は、南アフリカ(3年)・米国(8年)・オーストラリア(4年)・ノルウェー(3年)・ネシア(2年)・その他。 南アの英語はイギリス英語で、後に経験した米国英語とはかなり異なり米国で戸惑いました。英語が第2外国語の国々でも色んな英語を経験しましたが、英語がコミュニケーションの道具であり、現在では世界標準語で有る事には違いないことを実感しました。  コマツは管理職昇格条件にTOEIC規定があります。最近のグローバル企業も同様に採用・昇格条件にTOEIC点数を定めている企業が多くなっています。 英語力で人生を変えることが出来ます。    英語頑張りましょう!!!