同窓生の海外体験(1期機械土井治朗)

1998年米国ワシントン駐在から帰国した後、自動車の基準調和の仕事に関係するようになった。その多くは、経済産業省からの委託による調査事業で、アセアン諸国の自動車産業の現状を調査するものから、インドネシアやマレーシアの自動車型式認証制度構築のための支援活動で、初めは自動車会社の技術者の一人として、また定年退職後はJASICという団体に所属しながら5年程働くことになった。

写真は、2013年6月ジャカルタで開催されたインドネシア-日本EPA(経済連携協定)事業の成果報告会に参加した際、撮影されたものである.(中央が筆者・事務局追記)このときは、JASIC事務局として、2008年度から開始された5年間に亘る支援活動の成果について報告したもので、40数項目のUN規則について、日本の専門家(多くは、日本の自動車メーカーや部品メーカーのエンジニア)からその規則の概要や試験方法について説明し、インドネシアの試験機関や自動車産業従事者からの質問に答えるセミナーを毎年4~5回に分けて実施したことを報告している。結局、インドネシアは、国連の1958年協定加入を見送り、一方マレーシアは協定加入、更には数十項目のUN規則の自動車型式認証制度構築に成功したが、我々の支援がどれほどの効果を挙げたのか、その評価は難しいが、一助にはなったのではないかと考える。

北九州高専を卒業後、自動車造りに45年間携わり、この間品質管理、技術管理(標準、研究開発管理、新技術企画、最終的には海外の法規・認証取得業務)を担当し、欧州、米国、東南アジア、中国、インドの人たちと交流して来たが、欧米の自動車技術を凌駕するようになった日本の技術をグローバル化の名の基に東南アジアの国々にも伝える、謂わば宣教師のような仕事に最後の十数年携われたことは、大変貴重で名誉な体験であったと思う。

海外との交流には、英語が不可欠。米国に限らず、欧州、アジアでは、仕事では英語が必須と言っても過言ではない。中学校英語をベースに語彙を増やして行けば、技術屋は図や表が使えるので、意思疎通可能。上手いに越したことはないが、思い切って話しているうちに上手になるはず。勿論英会話教室に通うとか、集中講座を取るとか、今の日本では、就職してからでもなんとかなる。